ステップ3

慈悲の実践法‐無財の七施、三縁慈悲

慈悲は大切と思っていても、なかなか実際の実践はできていない場合があります。日々、慈悲を心がけ実践をしていると、しだいに人格が変わり、人生のありかたも変わってきます。

実践のしかたは前ページの講義も参考にしていただきたいですが、この講義では無財の七施(むざいのしちせ)と三縁慈悲を学んで実践しましょう。

無財の七施とは

七施の施は布施のことで、布施は一般的には在家者(一般の人)が寺や僧に物やお金を渡すことのように思われていますが、本来はそれだけではありません。

身の回りのためのものや食べ物やお金の布施を財施と言い、これは在家者から出家者・僧へだけでなく、出家者・僧から在家者、また出家者・僧から出家者・僧へも昔からありましたし、在家者から在家者への財施も良いことです。

そして無財の七施は財施ではないことで、誰でもどんな時でもしようと思えばできることです。121の様々な物語が含まれている経典の雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)に、大いなる果報をえられる金銭や物をともなわない七つの布施(ふせ)として説かれています。

眼施(がんせ)

慈眼施(じがんせ)とも言い、優しく慈しみに満ちた眼差しを人や生き物におくる

和顔施(わげんせ)

和顔悦色施(わげんえつじきせ)とも言い、喜びが表れた、やわらかで穏やかな顔つき・表情を、人や生き物におくる

愛語施(あいごせ)

言辞施(ごんじせ)とも言い、優しい言葉づかいで、プラスに認める言葉、思いやりの言葉を人や生き物におくる

身施(しんせ)

捨身施(しゃしんせ)とも言い、人や生き物の助けになることを身をもってする

心慮施(しんりょせ)

人や生き物に心をくばり、それぞれの人や生き物の立場で人や生き物のことを考える

牀座施・床座施(しょうざせ)

座をゆずる。座は坐る場所だけでなく、順番や職や地位などの場合もあります

房舎施(ぼうしゃせ)

人や生き物が苦難をしのげるように場を提供する

無財の七施はお金も物もなくてもできて大きな果報が得られます。ぜひ実践しましょう。

小さなこと、例えば身近な人や日常でお店に行ったときの店員さんなどへ、笑顔で「ありがとう」の一言からでもよいので。

慈悲を行う心の純粋性

さて慈悲の行いについて、純粋に相手のためでないとよくない、自分の利益のためのところがあるといけないというような意見が出ることがあります。

この点に関して、仏教の3種類の慈悲の心の考え方が参考になりますので紹介したいと思います。

三縁慈悲

三縁慈悲と言い、慈悲の心の生起する理由とその在り方から次の3種類になっています

小悲:衆生縁の慈悲

人(凡夫)が、苦しむ衆生(生命のあるすべてのもの)の姿を見る縁があって、それを救いたいと起こす慈悲の心

中悲:法縁(ほうえん)の慈悲

すでに煩悩を断じ悟った聖人が、人々が法、真理を知らずに苦をのがれ楽を得ようとあがくのをみて、抜苦与楽させようと思う慈悲の心

大悲:無縁の慈悲

あらゆる縁においておこる無条件の自然の働きの仏(ほとけ)の慈悲の心

つまり、慈悲は、私たち凡夫(ぼんふ)は小悲で、悟った聖人で中悲、自然(じねん)の働きの慈悲の大悲は完全涅槃の仏のものです。

私たちは凡夫で聖人、仏になる途上の者。「純粋に相手のため」が素晴らしいですが、綿はたちにはそれは目指すことでよいのです。

生きとし生けるものが幸せでありますように。