一般的に知られているのは坐禅のやり方・取組み方は1種類ですが、正式には大別すると2種類あり、僧が修行でする場合や一般の方々が寺院の坐禅堂でする場合、2つは違いがあります。
曹洞宗と臨済宗の坐禅
曹洞宗(そうとうしゅう)と臨済宗(りんざいしゅう)の坐禅の2種類があります。日本の禅の宗派は、このほかに江戸時代に中国から来た禅僧の隠元隆琦(いんげんりゅうき)が開祖の黄檗宗(おうばくしゅう)があります。
隠元禅師は元臨済宗の僧で、黄檗宗の坐禅は臨済宗のやり方と特徴的なのは念仏禅と言うやり方があることです。臨済宗と黄檗宗はかかわりが深くホームページも一緒だったりします。
私は、はじめは臨済宗のお寺や禅塾で学ばせていただき、その後、曹洞宗元管長の板橋興宗禅師様にお会いする縁に恵まれ、禅師様の元で曹洞宗で得度して修行しました。
曹洞宗と臨済宗の坐禅は、坐る向きが違う
修行をするお寺の坐禅をする場所を僧堂と言いますが、僧堂は中央が土間になっていて、その両側に上がって座る「単」があります。
曹洞宗の場合は、次の写真のように壁を向いて座ります。面壁(めんぺき)と呼びます。

臨済宗は内側を向いて座ります。土間を挟んで両側の坐禅者が向き合う形になります。

坐るものが違う
上記の坐る向きの写真をよく見るとわかりますが、坐る坐蒲(ザブ)は、曹洞宗が丸いもので、一般的によく知られている形のもの。

臨済宗は、あまり知られていませんが、小さめの敷布団のような形のものと、座布団、枕のようなものの3つを組み合わせたものになります。

価格は、修行用として使えるものは、曹洞宗のものは4千円位からありますが、臨済宗のものは4万円位になります。
手の結び方が違う
また坐禅のとき、右手と左手の形をどのようにするかに違いがあります。
両方とも共通してするのは、次のように法界定印(ほっかいじょういん)という手の形をします。

臨済宗の場合は、これ以外に右手の親指と人差し指を輪にして左手の親指を握り右手の上に左手を重ねる方法もします。
なお、私が曹洞宗の僧堂修行生活の後に修行に行ったミャンマーなどの上座部仏教では、次の写真のように、右の手のひらの上に左の甲をのせるだけがほとんどの場合です。
ちなみに、在家者用に近代になってつくられたゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想の合宿では、法界定印はしないように指導されました。

取組み方の大きな違い
そして、曹洞宗と臨済宗は次の大きな違いがあります。
曹洞宗の黙照禅(もくしょうぜん)、臨済宗が看話禅(かんなぜん)と呼ばれる違いです。一般の方々が取組むときや、禅僧も普段取組むときには違いはなく黙照禅をしますが、修行で取組むときにはこの違いがあります。
曹洞宗は、黙照禅(もくしょうぜん)
曹洞宗は、道元が「これが釈迦の正しい仏法だ」と中国から持ちかえりました。実は道元は「曹洞宗」や「禅宗」と名前をつけることをが嫌でした。これが仏陀の正しい仏法なのだから何々宗と呼ぶのはおかしいと。

道元が正しい仏法だと言って持ち帰ったは「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすら座るです。何も考えず黙ってたたただ座る坐禅です。黙照禅です。
坐禅を悟るための手段と考えるのは、道元の坐禅はだめです。何も求めない坐禅。「修証一如」「修証一等」、修行と悟りはひとつ、坐禅をしている今ここが、すでに悟りの状態なのだという考えだからです。
臨済宗は、看話禅(かんなぜん)
臨済宗を日本に伝えたのは教科書などに栄西(ようさい)となっていますが、これは要注意です。
臨済宗は栄西のほか中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立したので、流派によって伝えた人が異なります。
そのため、「臨済宗を伝えたのは栄西」というのを嫌がる臨済宗の人がいます。

臨済宗の修行の坐禅は、ただただ黙って座る曹洞宗とは真逆です。師僧から「公案」と言われる問いを与えられ、坐禅をしながらその問いを突き詰めていきます。
たとえば「隻手音声(せきしゅおんじょう)」という有名な公案は、両手を打てば音がするが片手の音は、と問われます。片手の音、どう答えますか?
修行僧は、毎日、答えを師僧に伝えにいかなければなりません。論理的に頭で考えたような答えを持って行くと、師僧に何度でもダメ出しをされます。昔は蹴飛ばされたり殴られて叩き出されることもあったそうです。
修行僧の中には、公案に行き詰まり僧堂から逃げだす人もいます。臨済宗の公案は、公案によって理屈で考える、理屈に囚われる自分を壊し突き抜け、素の仏性が現れるようにするものです。