ステップ1

2種類の瞑想の概要

ステップを進んでいって、サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想それぞれの坐る瞑想などの瞑想の方法に取組むときごとに、それぞれそのやり方を詳しく説明します。

そして、ここで、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想について概要をきちんと事前の知識として持っておくことは、そのときに間違わずに理解できて、正しく取組むためにとても有効です。

【動画による講義】

【文字による講義】

サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想がどのようなものか概要をしっかりと知っておきましょう。

集中の瞑想・サマタ瞑想

サマタとは集中を意味し、サマタ瞑想は集中の瞑想です。静寂の瞑想や平静の瞑想とも呼ばれます。

フォーカス・アテンション型という瞑想で、何か1点のイメージに注力し続けたり、呼吸をすること、何かを唱える・念じるなど1つの何かをすること、何か1つについて考えることを注力して続ける瞑想です。そうして「今ここに集中」します。

目的・効果

サマタ瞑想は、瞑想をしているとき、現れる思考や記憶、感情、心の状態、感覚への反応やその現われ自体を止め、心を静める、リラックスする、集中を高めることができます。

次のページで説明する脳のDMNの活動や自動操縦を減少・停止させて、脳を休めることもできます。

スポーツ選手などが活動に没頭しているような状態を「ゾーンに入る」と言いますが、サマタ瞑想は「今ここに集中」し、それが高くなるとゾーンのような状態にもなります。そういう状態や「禅定(ぜんじょう)」という深い集中の状態にも達することができます。

脳のエグゼクティブ・ネットワークという回路が活性化するという科学的な報告があります。

このネットワークは集中力、記憶力、意思決定といった認知機能をつかさどっていますので、サマタ瞑想をするとこれらの認知機能が高く働き、瞑想直後にその効果を活かせます。

また、サマタ瞑想を特別に時間をつくって取組むこと、日常の中で活かすことで、脳のDMNの活動、自動操縦を減少・停止させて脳を休めることが繰り返され、それによって脳の部位・構造、記憶・回路の変化も起きてきます。

気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナーは観察すること、正しく理解すること、悟ることを意味し、ヴィパッサナー瞑想は気づきの瞑想、洞察の瞑想、智慧の瞑想です。

オープン・モニタリング型という瞑想で、サマタ瞑想のように一つのもの、一つのことにずっと集中を続けることはせず、現れてくる自分の心と体の現象を、ただただ現れたありのままに気づくことに取組み続ける瞑想です。

心の現象であれ体の感覚や挙動であれ、それが生じたら生じたままに観察します。

目的・効果

ヴィパッサナー瞑想は、集中の力はサマタ瞑想の「今ここに集中」とは違う瞬間瞬間の集中の力「瞬間定(または刹那定という)」が開発されます。

気づきの力・メタ認知力「客観的に自分をありのまま正しく気づく、自分の心と体の現象が現れていると気づく力と習性」が開発されます。

そして、脳の部位・構造・回路の変化が起きます。記憶、心の浄化が起きます。

また、対象・現象をプロセス、因果としてとらえられるようになったり、心身の機能の真理や無常、苦、非我・無我などの悟り・智慧を会得することが可能です。

ヴィパッサナー瞑想は瞑想をしていないときにも、瞑想で得られるメタ認知力、心・脳の癒し・浄化・変化、智慧の効果で常に生きられるようになれます。日常の習慣・ありかたが変わります。

ヴィパッサナー瞑想の利益は日常・生涯にわたります。そうして苦悩することから解放され、いつも平安・福楽にいられる人になります。

天台小止観に学ぶ

仏教の瞑想の古典的な名著に、中国僧・天台智顗(てんだいちぎ 538-597)が著わした『天台小止観(てんだいしょうしかん)』という書があります。

この『天台小止観』にそれぞれがどういうものであるかが書かれています(『現代語訳天台小止観』関口真大訳、大東出版社より転載)

止観の止はサマタ瞑想、観はヴィパッサナー瞑想のことです。

涅槃(さとり)の世界は、そこに入るためには種々のみちがあるけれども、そのなかでも最も効果的で肝要なものはなにかといえば、止と観の二法に勝るものはない

なぜかといえば、【止】は、まよいへのとらわれをおさえつける第一歩であり、【観】は、まよいそのものを断ちきる力であるからである

また、【止】は、人の心識(こころ)を愛養するためのよきたすけ、【観】は、ものごとの正しい理解を発(おこ)すための妙術である

止】は、禅定を得るためのすぐれた因となり、【観】は、正しい智慧を発するよりどころだからである

もしこの禅定と智慧の二法をなしとければ、自分を利益し、他の人々のためにもなる生活態度がおのずからその人に身に備わって来ることになる

2つは鳥の両翼

そして、『天台小止観』に両方が鳥の両翼のように大切とあります。片方にかたよると愚、狂であると説かれています。

この二法は、車の二つの輪、鳥の二つの翼のような関係で、もしどちらかに偏って修習すると、邪見か邪倒におちることになる

偏(ひとえ)に禅定や福徳を修して智慧を学ばないものは、これを名づけて愚といい、偏(ひとえ)に智慧を学んで禅定や福徳を修めないものは、これを名づけて狂という。

もし両者が均等でなければ、その修行は円満なもの完備したものにはならない。

両方で質も効果も高く安全に

鳥が片方の翼では飛べないように、両方の翼が強いと安全に高く遠くまで達することができるように、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の両方をしっかりできるようになり取組むと高い効果・成果を得られるようになれます。安全性も高くなります。

ヴィパッサナー瞑想を教える寺院や僧の中には、サマタ瞑想をほとんどしなかったり、まったく教えない場合がありますが、高ストレス社会で暮らしてきた人は特に、サマタ瞑想の取組みをせずヴィパッサナー瞑想の習得をはじめると、ヴィパッサナー瞑想の質が低く上達や効果の度合いが低くなり、危険度も高くなります。

そして、サマタ瞑想は日常の暮らしの中でも、とても役立つ貴重な技術・力になります。

ヴィパッサナー瞑想の支援にもなるサマタ瞑想

ヴィパッサナー瞑想に取組むとき、サマタ瞑想で心の安定や静まり集中をしてから取組めたり、サマタ瞑想でつく力がヴィパッサナー瞑想の気づきの力をいっそう強くしてくれます。

また、上座部仏教では、「サマタ瞑想の習得 → ヴィパッサナー瞑想の習得」と進んだ者は、ヴィパッサナー瞑想だけ習得した者には得られない力を得られる可能性があると言われています。

この講座はそのため、サマタ瞑想をステップ3で先に習得して取組みはじめて、ステップ4からヴィパッサナー瞑想を習得して取組むようになっています。