ここまでの講義でお話ししましたが、本来のマインドフルネスのブッダの瞑想のサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想は鳥の両翼で、やり方に違いによって、それぞれの効果があり、必要性があり、両方が大事です。いっぽう禅の坐禅は1種類です。
坐禅の一般的なやり方は、サマタ瞑想的
現在の禅の坐禅は、集中の瞑想のサマタ瞑想的なやり方が一般的になっています。坐禅をしていて思考や記憶や感情、感覚が現れてきても、とりあうことなく、かかわることなく坐禅していることに集中し続けます。
また、例えば、坐禅のやり方で心を散らさないようにして整えるとして数息観(すそくかん)という数を数えながらすることが教えられていることがありますが、数息観はサマタ瞑想の昔からのやり方の一つです。
禅の日本の曹洞宗の開祖の道元禅師は、坐禅は数息観はしてはいけないと説いておられましたが、現在は数息観を進める僧もいます。
坐禅をサマタ瞑想的にすると「今ここ」の集中の力がついたり、今ここに集中することで得られる効果があります。でも、マインドフルネス・正念の「気づき」の力と習性などの効果とは別です。
坐禅と気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想の違い
禅の坐禅は一般的なやり方は集中を重視します。いっぽう本来のマインドフルネスの気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想は集中重視ではなく、思考や感情、体の感覚、心身の現象に気づくことを重視するやり方です。
例えば、ヴィパッサナー瞑想は、集中できないときは集中できない、気が散っているときは散っている、瞑想をやめたい心が現れたら、その心の現れにもそのまま気づく、そんなふうにありのまま気づくようにします。
また、禅の坐禅は「調身、調息、調心」のものと言って正身端座(しょうしんたんざ)と言う姿勢を重視します。姿勢を整え息が調い心が調うものです。坐禅は瞑想中、調身、正身端座の状態をキープするようにします。サマタ瞑想はそのようにすると良いです。
ヴィパッサナー瞑想も良い姿勢をできるほうが良いです。でも、瞑想中に姿勢がくずれてきたなら、くずれてきたそのままをありのまま気づきます。息も同じです。心についても同じです。乱れてきたら乱れているとありのまま気づくようにします。
2種類の瞑想で取組むメリット
禅の坐禅はもちろん素晴らしいものです。そして、坐禅でヴィパッサナー瞑想的なやり方をすることも可能ではあります。
でも、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想の2種類で、明確にやり方が違う2種類の瞑想法に取組むほうが、わかりやすく取組めて、必要な効果・成果を得るにはむいています。
特に、マインドフルネス・正念の重要なメタ認知力などを得るためには、そのために特化したヴィパッサナー瞑想に取組むほうがむいています。

八正道の瞑想も、正定のサマタ瞑想と正念のヴィパッサナー瞑想の2種類です。
そして、禅の坐禅にも取組むメリット
私は禅僧となり坐禅に取組んで、それからサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の習得に進みましたが、周囲にいた人たちより、どんどんできるようになれて上達できて高い効果も得られました。
効果が得られる速さはあまり問題とすべきことではないですが、何年も修行していた人たちを1カ月足らずで抜かしてしまいました。私は坐禅で基礎・基盤ができていたからです。
坐禅は瞑想の坐り方や取組み方の基本ができるようになることに適しています。瞑想中の基盤となる心を静めることやリラックスすること、集中することができるようになるためにも適しています。
これらができるようになっていると、そうでない場合に比べて、サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想の習得、取組みはとてもスムーズに効果的になります。
このプログラムは
そういうことから、このプログラムは、まず、次のステップ2で禅の坐禅に取組みます。そして習得した基本・基盤を活かして、ステップ3で集中の瞑想のサマタ瞑想を習得します。
そして、その次のステップ4から、サマタ瞑想の力を活かして気づきの瞑想のヴィパッサナー瞑想の初歩、中級、上級と進む、高い効果を着実に得るための合理的な段階的なプログラムになっています。