ステップ3

心の静まり・集中の段階‐禅定

集中の瞑想のサマタ瞑想の取組みが深まり、力が高くなっていくとどうなるのか、サマタ瞑想、アーナパーナの実践の道しるべとして説明しておきます。なお、禅の坐禅の場合も同じです。

本格的には坐禅、サマタ瞑想は「禅定(ぜんじょう)」になることを目指すものですので、禅定について紹介しながら説明します。

仏教では色界の初禅、二禅、三禅、四禅の四つと、無色界の空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定の四つの四禅八定という境地があるとします。

無色界の禅定は一般には無理で必要でもないです。色界の禅定も初禅に到達できれば十分ですので、初禅について少し詳しく説明して、二禅、三禅、四禅はどのようなものかだけ説明します。

僧の修行の場合は、気づきの瞑想・ヴィパッサナー瞑想の取組みの開始は一段目の禅定の初禅には達していることが望ましいと言われています。

第一の禅定=初禅

坐禅、サマタ瞑想の実践を繰り返して集中の能力・力が高くなり取組んでいると、思考の想起が減少し息の静まり体のリラックスが深くなるようになってきます。

さらに、その場、その時に静かにとどまり呼吸への静かな集中を持続していると、息はどんどん深く微細になってなめらかになってきます。体はさらにどんどんリラックスしてきて、体と心と呼吸が合体しているような状態になってきます。これが最初の禅定の始まりになります。

集中が深まるにつれて、心は他の対象に興味がなくなり呼吸にとどまるようになります。呼吸はひじょうに微細になり確認できるかできないほどになります。それでも鼻腔や人中に注意をとどめ呼吸に集中していると、次の2つの能力が生まれてくるようになります。

尋(じ

特定の対象に意志で心を向けたり、心を定めたりできる能力

伺(し)

対象に向かっている心を維持する心、しっかりととどまることのできる能力

そして次の2つの状態が現れるようになります。

喜(き)

言葉にならない強い喜び、喜悦、高揚を感じる状態です。状態は突然現れて消え去る、一瞬のきらめきのような場合、しばらく続く場合など現れかたはさまざまです。体全体が喜悦のエネルギーとなり、体が透明のように感じられたり、無くなったように感じたりします。

楽(らく)

喜悦の強く刺激的な面が消え大きな安らぎや静けさや安堵感、充足感を感じる状態が訪れます。

さらに次の状態になってきます。

一境性(いっきょうせい)

ゆるぎなく一点に集中して没入している三昧(ざんまい)という集中状態になります。

なお、喜や楽の状態がおとずれると、特別な者となった、悟りを得たと誤解したり、その快感から喜や楽の状態を求める欲・執着を持ってしまう人もいます。

喜も楽も起こるべくして起こる通過点にすぎませんので気をつける必要があります。喜も楽も、ただそうなっていると状態を受け入れ、気づいているようにするだけです。そうしていて、その状態も生まれ、消えていくものだと体験して知ることが大事です。

初禅以降

第一の禅定以降について簡単に紹介します。

喜や楽の状態にとらわれることなく、瞑想のたびに第一の禅定になることを繰り返していきます。すると尋(じん)と伺(し)の能力が十分に育ち、尋と伺が意識されることがなくなり、第二の禅定、二禅の喜と楽と一境性の状態になります。

二禅の喜や楽は洗練されたものになり、清らかな喜びと安楽が絶え間なく心に注ぎ込んでいるようで、心はひじょうに軽くなり、体は喜びと安楽で完全に満たされたようになります。

二禅になることを繰り返ししていき、喜が無視されるようになり、喜が消え、第三の禅定、三禅の楽と一境性の状態になります。心は微細で静寂な楽で満ち、平静さが強く現れ、平静と集中が強く働いている一境性の状態になります。

三禅になることを繰り返ししていき、楽が無視されるようになり、楽が消え、第四の禅定、四禅の一境性のみの状態になります。心の分別が一切消えた完璧な平静さが生まれます。