レイキの歴史 ― 臼井甕男から世界へ広がった光の道

レイキの歴史。臼井甕男から世界へ レイキシリーズ記事

レイキという言葉を耳にすると、多くの人は「癒しの技法」や「スピリチュアルなエネルギー」を思い浮かべるかもしれません。

しかし、その原点にあったのは、一人の人間が抱いた深い問いでした。―「なぜ人は苦しみ、どうすれば心は安らぐのか」。その問いを一生かけて探究したのが、レイキの創始者・臼井甕男(うすいみかお)です。

この記事では、臼井甕男という探求者の生涯をたどりながら、彼が見出した「宇宙生命エネルギー=霊気」という自然の原理、そしてそれがどのように世界へと広がり、今日はどのようになっているのかを見ていきます。

1|一人の問いから始まった「いのちの光の道」

近代化が進み、人間性や霊性が置き去りにされつつあった大正期の日本。その時代の中で、人々は目に見えない『いのちの光』を求めていました。

レイキは、そのような時代の必然と、一人の真剣な探求によって生まれた「いのちの光の道」です。

なぜ人は苦しみ、どうすれば癒されるのか

レイキの起点は、一人の人間の問いでした。「なぜ人は苦しむのか」「どうすれば心は安らぐのか」。この問いを生涯にわたって追い続けたのが、レイキのメソッド(方法・手法)の創始者・臼井甕男(うすいみかお 1865–1926)です。

臼井甕男

彼の探究は、宗教や思想の枠を超えていました。人間の苦しみの根にあるものを見つめ、そこに光を見いだそうとする姿勢は、まさに心の科学者と呼ぶにふさわしいものでした。

臼井は、自らの経験と瞑想、そして日々の実践を通じて、「癒しとは何か」「人はどうすれば癒されるのか」という問いに静かに向き合い続けました。

私たちが今日「レイキ」と呼ぶものは、この根源的な問いへの答えを探す過程の中で生まれました。それは、苦しみを消すためだけの技術ではなく、人が本来の自然な調和に還る道です。

近代化の波と霊性の再興 ― 大正期日本の精神風土

明治から大正にかけての日本は、急速な近代化のただ中にありました。科学と合理主義が社会の中心となり、伝統的な信仰や精神文化は「時代遅れ」とみなされつつあった時代です。

しかし同時に、人々の心の奥には、目に見えないものへの渇望が静かに広がっていました。

「理性」と「霊性」。二つの価値観のはざまで日本人の心は揺れていました。西洋の科学思想に触れながらも、心の深層では“生命の根源にある力”を求める声が強まっていたのです。この潮流はやがて宗教・哲学・芸術などあらゆる分野において、霊性の再興として現れました。

臼井甕男もまた、この精神的な時代の波の中に生きていました。彼が探し求めた「癒し」「光」「安らぎ」は、個人的な願いであると同時に、時代そのものが求めていた問いでもあったのです。レイキは、そうした時代的必然の中から生まれた「人間の霊性回復の試み」でした。

同時代に現れた霊性思想家たち

臼井甕男の探究と同じ時期、日本には多くの霊性思想家が現れました。

出口王仁三郎(大本教)、中村天風(心身統一法)、植芝盛平(合気道創始者)など、彼らはいずれも「心」「気」「霊」という言葉を使い、人間と宇宙のつながりを探究していました。

  • 出口王仁三郎 (1871–1948)大本教の教祖。神示と霊的ビジョンを通じて「霊界の改革」を唱え、戦前のスピリチュアル思想に大きな影響を与えた。
  • 中村天風(1876–1968)実業家・思想家。ヨガ哲学と心理学を融合した「心身統一法」を創始。意識の力による生命エネルギーの活性を説いた。
  • 植芝盛平(1883–1969)合気道の創始者。「調和」「和合」を理念に、武道を通した霊性修行を体系化。
植芝盛平

彼らの思想に共通していたのは、「宇宙と人間は一体である」という確信です。

臼井甕男もまた、この時代の中で同じ問いを抱き、同じ方向を見つめていました。彼が鞍馬山での瞑想を通して体験した「光」は、この時代に生きた多くの探求者たちが目指した「生命と宇宙の調和」というテーマと、深く響き合っていたのです。

2|臼井甕男先生の生涯 ― 探求・瞑想・悟り

臼井甕男先生の人生は、一人の人間が「真理とは何か」「生命とは何か」を求め続けた道でした。彼は宗教家ではなく、心の平安と人間の本質を追究した“探求者”として歩みました。

その歩みの中には、東西の思想に学び、瞑想によって悟りの光を得、そして「宇宙生命エネルギー=霊気」という原理を見いだすまでの深い探究の軌跡があります。

京都での学びと東西思想への関心

臼井甕男先生は、1865年に岐阜県で生まれました。若い頃から向学心が強く、京都での学びの中で仏教や儒教、さらには西洋哲学にも関心を持ったと伝えられています。

当時の日本は、西洋文明の導入によって新しい価値観が急速に広がりつつありました。臼井先生はその中で、東西の思想を横断的に学び、「人間とは何か」「生命とは何か」という根本的な問いに向かっていきます。

宗教的な教義よりも、実際に人が幸せに生きるための「道」を求めていたのです。この学びの時期が、のちに彼が霊気療法を生み出す思想的な基盤となりました。

京都での経験は、臼井先生にとって「理性と霊性をつなぐ探究の始まり」でした。その学びの流れは、やがて彼を瞑想と悟りの世界へと導いていきます。

鞍馬山での断食瞑想と光の体験

臼井先生の生涯の転機は、京都・鞍馬山での修行にありました。

伝えられるところによれば、彼は深い瞑想と断食の行の中、21日目のある瞬間、全身を包むような強烈な光の体験を得たとされています。

鞍馬山の風景

それは、宗教的な啓示ではなく、生命の根源に流れる『いのちのエネルギー』を直接に感じ取った体験でした。臼井先生は、その出来事を通して、人の内にある光と宇宙の光が同じ源から流れていることを悟ったのです。

この体験の後、臼井先生は人々を癒す不思議な力が自らの手に宿っていることに気づきました。しかし彼は、それを特別な奇跡とは考えませんでした。それは、「生命に本来そなわる自然の力」が目覚めた結果であると理解したのです。

宇宙生命エネルギー=霊気という発見

臼井先生は宗教家ではなく、哲学と信仰のはざまで真理を求めた求道者でした。禅の修行や東洋の瞑想法に通じながらも、体験を特定の宗派や信条に閉じこめることなく、「人間そのものの生命原理」として探求しようとしました。

鞍馬山での光の体験を通じて、彼は生命を貫くエネルギーの流れを直感的に理解しました。それを「霊気」と呼び、すべての生命がこのエネルギーによって生かされていると説きました。

臼井先生は、この宇宙生命エネルギー=霊気を、誰もが感じ、使えるようにするための方法を模索します。それが後に体系化され、「臼井霊気療法」として形を成していきました。

3|臼井霊気療法の誕生 ― 癒しを超えた教えと道

鞍馬山での悟りの体験を経て、臼井甕男先生は「宇宙生命エネルギー=霊気」という自然の原理を、誰もが感じ、扱える方法として体系化していきました。

それが「臼井霊気療法」と呼ばれる実践の始まりです。この療法は単なる癒しの技法ではなく、人間が生命の法則に調和して生きるための道でもありました。

この章では、臼井霊気療法の核心にある三つの要素 ― 「手当て法」「五戒」「癒しから変容への道」をたどります。

手当て法を「意識の行為」として再定義

臼井霊気療法は手を当てる「手当て法」ですが、単なるヒーリング技術ではありません。それは、人が宇宙エネルギーと一体であるという自覚を、具体的な行為として表す方法です。

臼井先生は、「手を当てるとき、癒そうとする意図を離れ、相手のいのちと自分のいのちが同じ流れであることを感じなさい」と説きました。この「意識の在り方」こそが、霊気療法の中核にあります。

現代的に言えば、これは生体の電磁的共鳴や脳波の同調といった科学的現象として説明することもできます。手当て法は、生命同士の波動を整える共鳴の実践であり、人の意識が静まり、心が澄んだときにこそ、最も深い癒しの流れが生まれるのです。

五戒の教え ―「今日だけは怒るな、心配すな…」

臼井霊気療法には、日常の在り方の指針「五戒(ごかい)」があります。これは単なる倫理や教訓ではなく、生命の流れ(気)の状態・波動を整えるための実践です。

「今日だけは、怒るな、心配すな、感謝して、業を励め、人に親切に」。臼井先生は、この言葉を唱え実践することで、人の生命の流れ(気)が本来の自然な波動に戻ると考えました。

怒りや不安は気の波動を乱し、宇宙エネルギー(霊)との共鳴を妨げます。反対に、感謝と親切は気の波動を高め、宇宙エネルギーとの一体感・共鳴を強めます。

つまり、五戒の実践で気の状態を整えることによって、内なる霊気(=宇宙生命エネルギー)の流れがいっそう良くなるのです。

そして、この五戒の実践の本質は、手当て法と共に「安心立命」の実現にあります。それは、外的条件に振り回されることなく、生命の本質に安らぐ心の状態を取り戻し生きることです。

癒しから調和、そして変容へ

臼井霊気療法の目的は「癒すこと」だけではありません。それは、人間が本来の調和に戻り、意識そのものが変わっていくプロセスを導くものです。

  • 癒しは、身体と心のバランスが回復し、自然治癒力が働く段階。
  • 調和は、個人の意識が宇宙エネルギーと共鳴し、外界との関係に安らぎを感じる段階。
  • そして変容は、意識が拡大し、他者や自然との境界が薄れ、「すべてが一つである(ワンネス)」という感覚が深まる段階です。

この三つの過程は、内なる霊気(=宇宙生命エネルギー)の高まりを通して自然に進行します。臼井霊気療法は、癒しを出発点として、調和を経て、最終的に人間の霊性を開く意識の進化へと導く体系のメソッド(方法・手法)なのです。

臼井霊気療法学会を設立

臼井先生は、1920年代初頭に「臼井霊気療法学会」を設立。学会では、五戒の実践と手当て法の修養を通じて、人々が自然の法則と調和して生きる力を取り戻すことを重視していました。

臼井先生の教えは、癒しの技法を超え、「心の調和を通して生き方を整える道」として伝えられました。

4|継承と発展 ― レイキの光は広がり、世界へ

臼井甕男(うすいみかお)先生が見出した霊気療法の思想と実践は、弟子たちによって受け継がれ、やがて海を越えて世界へと広がっていきました。

この章では、臼井霊気療法学会の設立後から西洋への伝播、日本における再統合、現代のさらなる発展と、霊気療法がどのように広がり、今も私たちにつながっているのかをたどります。

林忠次郎による継承と体系化

臼井先生が創設した臼井霊気療法学会の教えを、直弟子である林忠次郎が受け継ぎ、林はのちに林霊気研究会を立ち上げて、霊気療法の普及に努めました。

林は初伝・奥伝などの段階制度を整備して、霊気療法を習得できる体系をつくり上げました。

林の活動によって、霊気療法は「個人の修養」から「社会的実践」へと展開しました。その流れが、のちの時代に世界的な広がりを生む土台となったのです。

高田ハワヨがハワイから伝えて『西洋レイキ』に

林のもとで学んだ日系二世の女性、高田ハワヨは、1930年代にハワイからアメリカ本土へ霊気療法を伝えました。彼女は、英語圏の人々にもわかりやすい形で霊気療法を教え、「Reiki」という言葉を世界に広めました。

高田の指導は、シンプルで実践的で、彼女の教えから生まれた『西洋レイキ』は、やがて世界各地に広まり、医療・心理・教育などの領域でも活用されるようになりました。こうして霊気療法は、『世界の光』へと姿を変え広がるようになったのです。

日本での再統合 ― 土居裕が再構築した『現代レイキ』

1980年代、日本では霊気の名が再び注目を浴びました。その中心にいたのが土居裕です。彼は臼井霊気の原点を研究し、「現代レイキ」として再構築しました。

土居は、霊気を「誰にでも備わる自然な心身の調和の力」としてとらえました。そして、日常生活で五戒を実践し心の波動を整えることを重視しました。

現代レイキは、臼井先生の精神を現代社会の中で生きる人の実践法として再統合しました。

総合型レイキ ― いっそう効果を高める道へ発展

現代においては、霊気療法はさらに新しい段階に入っています。科学・心理学・意識開発を融合して、よりいっそう人の癒しと成長をうながす総合型レイキの時代です。

私のしている総合型レイキ(インテグラル・レイキ)も、この流れの中に位置づけられます。西洋レイキと現代レイキを統合し、心理・瞑想・意識の探究を融合し、「癒しから成長、そして変容へ」という道をより効果的に実践しています。

霊気療法はもはや過去の技法ではありません。それは、現代社会を生きている私たちの心と意識を整え高めるための普遍的なメソッド(方法・手法)なのです。

5|結び|臼井先生の理念が今も生きる理由

臼井甕男(うすいみかお)先生の理念が百年を超えて今も受け継がれているのは、それが「人間の本質に根ざした教えと実践」だからです。

霊気療法・レイキのメソッド(方法・手法)は、誰の中にもある『いのちの光』に気づき、その光とともに生きることをうながします。この教えと実践は、宗教や文化を越え、人がより穏やかに、誠実に、そして自然と調和して生きる道を示しています。

だからこそ、時代が変わっても、霊気療法・レイキのメソッドは古びることがありません。静かに手を当てるその瞬間、臼井先生が見出した光は流れ出します。

霊気の流れは今も続いています。そしてその光は、あなたの中でも確かに息づいているのです。Change-Life 森信仁として、私はこの光の道を現代に伝え続けています。


次回は―「レイキの流派 ― 分かれた経緯、それぞれの特徴と共通性、そして今」、各流派の特徴を比較しながら、レイキの普遍的本質に迫ります。

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